大人は、子どもの未来を狭めてはいけない
お久しぶりの書き込みです。
今年ももう終盤に近付いていますが、現在、学生寮の視察が多く、年末年始はキリロムに助っ人に来ています。テレビ放送をされたこともあり、多くの方にキリロム工科大学を知っていただくことができ、良い一年だったと思います。
「子どもの未来を狭める大人」は悪気があるのではなく、「知らない」から子どもに教えられなかったり、「自分の思い込み」が正しいと勘違いしていることも多く、それに気づいていただけないことに最近悩んでしまいます。
英語が話せないより、話せるほうが、良くないでしょうか?
ITができるほうが、できないより、良くないでしょうか?
日本人だけで学ぶより、複数の国の人と生活するのも、良いのではないでしょうか?
自分からトラブルが多いだろうアジアの大学に飛び込むのは、凄くないですか?
キリロム工科大学にはたくさんの「大人に反対されたけど自分の道を選んだ」日本人大学生が多くいます。そんな学生たちとこの年末年始はたくさん話ができて私もとても楽しかったです。
「キリロム工科大学に来てよかったです!」と言われた時には、うれしさと同時に、なにかこそばゆい感じもしました。その背景には、今年も多くの高校生、中学生、学校の先生、そして保護者とお話をしました。中高生の中には「海外進学という選択肢があるなんて思ってもみなかった」という生徒がたくさんいるのです。都会の子どもたちでもそうです。なので、地方に行けばなおのことそうではないかと思います。
私が中高で授業をするとき、海外志向の生徒が多い学校でさえ、「えーーー」とか「うそお~」という声があがったりもするのです。そんなとき、私は嬉しくなります。
今、キリロムには多くの中高生がスタディツアーやアクションツアーで来ています。普通のカンボジアのスタディツアーでは新興国の課題をどう解決できるか、ということをワークショップ形式で行うことが多いのですが、キリロム工科大学では、それらに合わせて、ITでどんな解決ができるかなどをデモで見せたり、英語で授業を受けることでのダイバーシティの経験をしていただいたりもします。
この3年で、欧米豪以外の大学に行く学生も増えているし、これは高校もそうですね。海外の高校に行く人たちの話もよく聞きます。
高校生も大学生も、ほとんどが親が学費を出したり、未成年なので保護者の同意が必要だったり、と海外進学のハードルは一見高そうに見えます。ただ、「知らない」から選択できない、「親や先生が反対する」から選択できないという、大きなバリヤーもあります。「大人が知らない」ことは罪ではないかとおも思っています。
みなさんは、「自分の子どもが海外の大学や高校に行きたい」と言ったらどう反応しますか?
私の周りの大人は、「いきなさいーーー」「がんばってーーー」という人たちが多いので、つい勘違いしてしまいそうなのですが、本当に、本当に、どうぞ、と言える人は少ないんです。